都農神社

宮崎県児湯郡都農町に鎮座する宮崎県における一之宮である都農神社。太古の時代に創建され信仰されてきた歴史ある神社です。その始まりには諸説あり神秘の詰まった神社でもあります。

緑多い神社域で、境内には色々な神事や縁起物もあり、境内社も多くあることから、パワースポットとしても有名です。

この記事では、都農神社についての情報や、関連する神社についてご紹介します。

日向国一之宮「都農神社」

都農神社は、宮崎県児湯郡都農町に鎮座する神社です。その歴史は太古の時代から続いていると云われています。

まずは都農神社の歴史を紐どいてみましょう。

神武天皇創建説

「日本書記」や「古事記」などに登場する初代天皇の神武天皇。

15歳にして大和国平定の為に高千穂を旅立ちました。

出発にあたり、都農の地に立ち寄り、「国土平安」「航海安全」「武運長久」の祈願に御祭神をお祀りし、都農神社を創建したのが始まりとされています。

この伝承は天皇として即位する6年前の出来事と云われており、紀元前666年が都農神社の創建年とされますが、実際に創建年代は不明です。

神功皇后創建説

ウィキペディアより

4代仲哀天皇の皇后である神功皇后は、仲哀天皇が崩御したのち、朝鮮半島の広い地域を征伐する三韓征伐を行いました。

その際に船の守護神として「吐乃(つの)大明神」を勧請し、戦いに挑みました。神功皇后は、勝利して凱旋すると、吐乃大明神をお祀りするための社殿を造営したのが都農神社の創建となりました。

また、神功皇后が三韓征伐の凱旋後に韜馬峯(うんかのみね)で弓を射っていたときのこと。

矢が当たり掘れた部分の土中から、黒い頭が見えたのです。掘り起こしてみると、そこから男女2人が出てきたのです。そこで神功皇后は、神につながる人として、祭祀をさせたという伝承が残っています。

この伝承の場合、三韓征伐の年代はわかっていないことから、仲哀天皇が崩御された200年から応神天皇が即位された270年の間頃が、都農神社の創建年代と推定できます。

創建から現代までの都農神社の歴史

神武天皇創建説や神功皇后創建説のいずれだったとしても、ゆうに1800年~2700年近い歴史を持つ都農神社。927年に成立した延喜式神名帳には、都農神社は「日向国児湯郡都農神社」と記載があるため、古代から続く神社ということは確実であり、太古の時代から信仰の深かった神社だったとわかります。

そこから室町時代までの詳しい歴史はわからないものの、室町時代末期には、1549年に日向伊東家の11代伊藤義祐により、社殿が建て替えられました。

しかし、すぐに戦国時代に突入し、大友氏と島津氏との争乱によって社殿は兵火に襲われます。延焼した社殿は焼失してしまい、神社の宝や古文書など全て燃えてなくなってしまいました。これにより、神社に残されていた記録関連が消失してしまったことから、都農神社の歴史の詳細はわからなくなったのです。この焼失により、神社社域は荒廃し、衰退の一途を一時辿ることになったのです。

江戸時代になり、高鍋藩4代藩主の秋月種政は、1692年に都農神社を再興します。それ以降、高鍋藩の歴代藩主は都農神社を崇敬します。種政以降の藩主も鳥居の造営や、社殿造営などを行い、都農神社は信仰の対象として復興していったのでした。

昭和9年に、『神武天皇御東遷2600年記念事業』の一環として、都農神社の社域の拡大整備が行われ現在の規模になりました。

現在の本殿は、2007年に再建されたものとなっています。

ご祭神とご利益

都農神社のご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)です。あまり聞きなれない名前の神様だと思う方がいるかもしれませんが、実は大国主命(おおくにぬしのみこと)が結婚するまでの名前が大己貴命なのです。つまり、大国主命をお祀りする日本で有名な神社の一つである島根の出雲大社にお参りせずとも、大国主命のご利益を得ることができるのです。

大己貴命は、国土を開拓した神様であり、あらゆる病気の平癒を行う神様として有名です。また、恋多き神様であり、多くの妃を娶り、多くの子どもを作った神様と語られています。そのため、縁結びや子孫繁栄、家内安全の神様と云われるようになりました。

このように語られる大己貴命が祀られる都農神社のご利益は、出雲大社と同様、縁結びや子授け、家内安全のご利益が得られると云われています。

少彦名命(すくなひことのみこと)と一緒に日本の国を造った神様でもあり、事業開拓、商売繁盛のご利益も得られると云われています。

生活に関わる基本的な願いに関わるご利益や得られる神社といえます。

都農神社参拝前に知っておきたいことや見どころ

なお丸🤗
なお丸🤗

都農神社には、古くから伝わる信仰やご利益を生むスポットなどが多くあります。

いくつかの情報を紹介します。

石持ち神事

石持ち神事は、古くから都農神社に伝わる信仰のひとつです。

鳥居から正門までの参道にある橋の手前右手側に、「石持ち神事」の看板とともに、神の石が置かれた場所があります。賽銭を入れ、神の石をひとつ受け取り、本殿に参拝します。

その石に願掛けを行い、本殿裏側にある「神の石納所」に神の石をお納めします。

参道を歩く際に見落とさないようしましょう。忘れて本殿付近まで進んでしまうと戻らなければいけなくなってしまいます。

自祓所(じばらいしょ)

都農神社には、自分でお祓いをする自祓所があります。自祓所は、手水舎に設置されていますので、見落とすことはないでしょう。手水舎で清めたあと、自身で全身を祓い清め、穢れを落した綺麗な状態でご利益を授かる準備を行います。

お祓い方法については、祓い串が設置されている横に祝詞が書かれていますので、それに沿って祓い串を大きく振るようにします。

都農神社の撫でうさぎ

宮崎県にはうさぎにまつわる神話が随所にみられますが、ここ都農神社にもうさぎが安置されています。撫でると無病息災のご利益がある撫でうさぎです。

いた白うさぎは、通りかかった大国主命の助言を聞き、素直に実行したところ、みるみると回復しました。

このことから白うさぎは、病気平癒のご利益があり、素直な心を表す象徴となりました。大国主命が助けたように、優しく白うさぎをいたわり撫でることで、白うさぎから無病息災のご利益が得られます。

撫でうさぎは正門をくぐり、正門右側にあります。

撫で大国

撫でうさぎ同様に、撫でることでご利益のある大国様も設置されています。

都農神社の御祭神である大国主命様のご利益をより一層授かることができるとされており、ぜひ参拝時には触れて撫でるようにしましょう。

撫で大国は、正門をくぐり、正門左側にあります。

白い象

都農神社の御神象として祀られている白い象。御神木の夫婦楠から生まれたもので、大国様の化身として安置されています。

象の身体にハートマークが浮かびあがっており、そちらを撫でることで、大国様にちなみ、恋愛成就や夫婦円満にご利益があるとされています。

正門から本殿までの参道左側にあります。

大杓文字(おおしゃもじ)

大杓文字神事は、杓文字で悩みの元を「メシ取る」神事です。

この杓文字で身体の悪いところや全身を撫でます。その後、杓文字を振って杓文字についている鈴をならします。そうすることで願いが叶うと云われています。

とても大きな杓文字ですが、その大きさで悩みの元をメシ取ってしまいましょう。

大杓文字は、本殿手前左手側に設置されています。

都農神社本殿と一緒に参拝したい境内社

境内には、本殿以外に、摂社が2つ、末社が3つあり、多くの神様がお祀りされています。

摂社とは、御祭神である大国主命とゆかりのある神様を祀る神社であり、末社はお客様である神様を祀る神社になります。知っておくと、参拝時にどのような神様がお祀りされているかわかるので、楽しみが増えますよ。

摂社

摂社の一つは、大国主命の6世前の祖先にあたり、大国主命の本妻である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の父である素戔嗚(すさのお)が祀られている素戔嗚神社です。

素戔嗚は、イザナギが禊を行った際に顔から生まれた天照、月読三兄弟の末弟神です。暴れん坊の神様という伝説やヤマタノオロチを退治した神様としても有名です。

ご利益には武運必勝・悪疫退散などがあります。

もう一つの摂社には、手摩乳(てなずち)・足摩乳(あしなずち)という夫婦神を祀る手摩乳・足摩乳神社があります。この夫婦神は、素戔嗚の妻である櫛稲田姫(くしなだひめ)の父母神になります。つまり、大国主の祖先神に当たります。

ご利益には、子育て・手足健康などがあります。

末社

末社には熊野神社、稲荷神社、愛宕神社があります。

熊野神社は早玉男命・事解男命・菊理比売命の3神を祀っており、ご利益は再生・若返りなどがあります。

稲荷神社は、宇加之御魂神を祀る神社です。ご利益は五穀豊穣・商売繁盛・殖産振興などがあります。

愛宕神社は、火産霊神がお祀りされています。ご利益は防火・防災などです。

これらの境内社をめぐることで、より多くの御神徳を得ることができるので、時間があればぜひ合わせて参拝しておきましょう。

都農神社本殿と合わせて参拝したい瀧神社

都農神社の境外社であり、奥宮として指定されている瀧神社。水の神である高龗神(たかむすびのかみ)を御祭神としている都農神社の末社で、社殿裏に不動の滝と呼ばれる滝があることが名前の由来となっています。都農神社より北北西に1.2kmの場所にあり、都農ワイナリーに向かう途中の牧内山の麓である藤見地区に鎮座しています。

創建は不明ですが、1392年に社殿が再建された記録が残っているため、都農神社同様に歴史の古い神社です。1926年(大正15年)10月14日に都農神社の末社に指定され、1995年に拝殿の改築が行われた記録が残ります。

農耕のための雨ごいや日ごいを行った神社であり、明治期には、耳病平癒の神としても信仰が広がりました。耳が早く治るためとの祈願として、浜で穴の開いた「浜下り石」を探して奉納する信仰がある神社です。

アクセス

公共交通を利用の場合、JR日豊本線で「都農駅」を目指します。都農駅までの目安として、「宮崎空港駅」より約1時間、「延岡駅」より約45分です。「都農駅」からは徒歩で約25分程度、タクシーで約5分となります。

市外から車やバイクなどで訪れる場合、東九州自動車道都農ICより約5分です。宮崎空港からレンタカーで移動する場合、国道10号線経由で約1時間20分程度、東九州自動車道経由で約55分程度とみておくといいでしょう。ただし、都農ICがETC専用のみになっています。現金での高速道路利用の場合、都農ICからは降りられませんので、高速道路利用の場合は注意が必要です。

駐車場は近隣に参拝者用駐車場があり、約140台が駐車できるようになっています。

住所|宮崎県児湯郡都農町川北13,294番地

なお、都農神社には開門・閉門時間がありますので、24時間自由に参拝ができませんので来社の際は、訪れる時間に注意しましょう。

開閉門時間

開門 午前6時(冬季10月~3月は午前7時) 閉門 午後5時

正月三ヶ日

1月1日  開門 午前0時 閉門 午後8時

1月2日  開門 午前6時 閉門 午後7時

1月3日  開門 午前6時 閉門 午後6時

インスタグラム 都農神社 Instagram https://www.instagram.com/tunojinjya/?hl=ja

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