
こんにちは!なおチャンネル管理人のなお丸🤗です。
神話の里として広く知られている宮崎県ですが、実は「明治維新の後、一度宮崎県が消滅していた」という歴史をご存知でしょうか?
今回は、私たちが暮らす宮崎県がどのようにして誕生し、一度失われ、そして奇跡の復活を遂げたのか、そのドラマチックな歴史について調べてみました!
意外!かつて宮崎県としての「歴史的記録」は存在しなかった?
宮崎県のHPに、こんな文章を見つけました。
宮崎県は、古くから「ひむかの国」と呼ばれたり、「日本のふるさと」と言われるように、ロマンに満ちた歴史や文化を持っていますが、県として本県の歴史を記したものはありませんでした。そのため、置県百年記念事業として、昭和59年度から県史編さん事業を開始し、16年の歳月を経て、原始・古代から現代に至るまでの本県の歴史を記した県史31巻32冊を完成させました。」※宮崎県のHPより

宮崎県として歴史の記録がないので作りましたと。。。。
この記録が、後世に残っていくんだろうな。
実は4つに分かれていた?「初代・宮崎県」の誕生
今でこそ一つの「宮崎県」ですが、明治維新を迎える前は、大きく4つの小さな国(飫肥藩、延岡藩、高鍋藩、佐土原藩)に分かれていました。この地域は古くから「日向国(ひゅうがのくに)」と呼ばれていた場所です。
これが明治政府の「廃藩置県(藩をなくして県にする政策)」によって、まずは以下のように整理されます。
- 1871年(明治4年):4つの藩がそれぞれ県になり、その後の府県合併で「美々津(みみつ)県」と「都城(みやこのじょう)県」の2つに再編。
- 1873年(明治6年):この2つの県が合体し、初めて「宮崎県(初代)」が誕生!
当時の宮崎郡上別府村(現在の宮崎県庁がある場所)に県庁が置かれましたが、当時はまだ静かな「寒村(寂れた村)」だったそうです。ここから宮崎の新しい歴史が始まるはずでした。しかし、そのわずか3年後、衝撃の事態が起こります……。
わずか3年で消滅…なぜ鹿児島県に「吸収合併」されたのか?
ようやく誕生した宮崎県ですが、1876年(明治9年)8月21日、突然政府の命令によって廃止され、鹿児島県に強引に吸収合併されてしまいました。
宮崎県庁は「支所」へと格下げされ、宮崎の街は一気に活力を失うことになります。

今で言う、鹿児島県宮崎市みたいな感じでしょうか?
さらに追い打ちをかけたのが、翌1877年に起きた「西南戦争」です。宮崎の地(延岡や小林など)も激しい主戦場となり、地域は大きく荒廃してしまいました。

あの西郷隆盛が城山へ戻る前に、延岡に宿陣してたのは有名な話です。
当時の鹿児島県庁(本庁)からすれば、遠く離れた宮崎の復興は後回し。予算やインフラ整備など、あらゆる面で不遇な扱いを受けた宮崎の先人たちは、「このままでは地域経済がダメになる!」と強い危機感を募らせていきました。
宮崎を救ったヒーロー「川越進」と、奇跡の分県運動
この大ピンチに立ち上がったのが、現在の宮崎県で「宮崎県の父」と称される偉人、旧飫肥(おび)藩士の川越進(かわごえ すすむ)です。
当時は、鹿児島市から宮崎の延岡市まで行くのに道路もなく、何日もかかる時代。同じ県として行政を行うのには明らかに無理がありました。
川越進は鹿児島県議会の議員となり、宮崎の独立を求める「分県運動(ぶんけんうんどう)」をスタートさせます。
- バラバラだった県民の一致団結:元々は小さな4つの藩の集まりでまとまりがなかった地域でしたが、この運動をきっかけに「宮崎を独立させよう!」と県民が初めて一つになりました。これこそが、宮崎の歴史上初となる「県民運動」です。
- 1883年(明治16年)5月9日:粘り強い請願と熱意が中央政府や鹿児島県議会を動かし、ついに「宮崎県」の再建が承認されました!
私たちが今、鹿児島県ではなく「宮崎県民」として暮らせているのは、この川越進を中心とした先人たちの命がけの努力があったからなのです。

明治維新では、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允が有名ですが
我が宮崎県を作った人で「川越進」恥ずかしいながら初めて知りました。

宮崎県き章

宮崎県の昔の名前「日向」から「日」を中央に配置し県の躍進を願い「向」を三方に伸びる陽光で表現しているらしい。
※き章とは。。バッチやメダルの事。
宮崎県旗

宮崎県のシンボルであるみどりと太陽<黄色>を表し、宮崎の「ミ」をかたちどり、段階を踏んで高まる県の躍進の姿を示しています。
宮崎県庁は歴史的建造物
現在の宮崎県庁本館は2代目で1932年10月に完成してます。
2016年11月18日に文化庁の文化審議会は県庁舎本館・正門門柱・東門門柱の3か所で国の登録有形文化財を答申。
2017年5月2日付で登録することを官報で発表されました。
初代の宮崎県庁写真

現在の宮崎県庁の写真

夜にはライトアップされています。


歴史的な価値があるけど、ちょっと不気味だな。。。(笑)
最後に:歴史を知って変わった「宮崎」への想い
学校の教科書やテレビの歴史ドラマを観ていても、幕末や明治維新の舞台として「宮崎」が大きく主役になることは滅多にありません。せいぜい西南戦争のときに、西郷隆盛が延岡や小林に宿陣したエピソードが語られるくらいですよね。
だからこそ、今回リサーチをして「自分たちが今暮らす宮崎県は、先人たちが命がけで勝ち取った場所なんだ」と知り、胸が熱くなりました。
実は、この記事を書くために調べていて初めて知ったのですが、宮崎市内に「西郷隆盛が滞在していた碑」があるんです。下の写真の場所なのですが、私が普段何気なく普通に通っている道(アミュプラザ近く)の、マンションの一角に大切に残されていました。



「歴史の記録って、こんな身近なところにあるんだ!」と本当にビックリしました。
いち県民である私に政治を動かす力はありませんが、大好きな宮崎の発展や知名度アップのために、このブログを通して魅力を発信し続けることはできます。
この記事を最後まで見てくださったみなさんも、ぜひ自分が住む街の歴史を少しだけ覗いてみてください。いつもの見慣れた景色の中に、教科書には載っていない素敵な発見が隠れているはずです
すきっちゃみやざき 
