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愛宕山(あたごやま)という名前は聞いたことがあるかと思いますが
その数全国に120を越してあるんです。
全国に、こんなあるなんて知らなかった!
宮崎県にも3つありました。
今回はその中でも延岡市の愛宕山と愛宕神社についてご紹介していきます。
延岡市の愛宕山とは
延岡市の愛宕山は、延岡市の市街地南部にあります。
標高251.3メートルの小高い山で
九州山地から東の市街地に飛び出したような形となっています。
元々は笠沙山(かささやま)という名前でした。
山頂は極天様と呼ばれ、天空を極める聖地として崇められていた
昔は名称が違った。
愛宕山の由来
愛宕山という名前の山は、全国各地に沢山あります。
これは火の神、火伏せの神を祀る神社である京都の愛宕神社が元になり
その信仰が全国に伝わり愛宕神社が建立されていったことに由来します。
延岡市の愛宕山はどうしてできたのか
調べてみました。
別の名前だった愛宕山
延岡市の愛宕山についても愛宕神社に由来するのですが
元は笠沙山と呼ばれた山でした。
愛宕神社が移設されたことにより
笠沙山は愛宕神社と呼ばれるようになりました。
元々愛宕神社は、延岡城の城山に建っていました。
それを初代の延岡藩主である高橋元種(たかはしもとたね)が
移設したことで、笠沙山は愛宕山と呼ばれるようになったのです。
愛宕神社の移設が関係してる事がわかりました。
女人禁制だった愛宕山
江戸時代までの笠沙山は、国主が直接斎主を務めていました。
男坂を設け、男しか立ち入ることができない女人禁制の聖域としていました。
しかし、江戸時代の初めに、日向御前の参拝により
この女人禁制のご禁制は解かれたのです。
女人禁制を説いた日向御前
江戸時代になり、島原藩から延岡藩に所領が変更となった有馬直純は
徳川家康のひ孫であり本多忠勝の孫にあたる国姫を夫人としていました。
日向御前と呼ばれていた国姫はとても美人であったとされる一方
武芸に優れた祖先同様、身体が大きく武芸に長けていました。
国姫は、城から南方に見える愛宕山へ登ってみたいと思いました。
有馬氏の側近達は、女人禁制の聖域ということで止めたのですが
『女と言えども人は人、人の参れぬ領域などあるものか。』
と言って、言うや否や馬を走らせ登ってしまったのです。
それより愛宕山の女人禁制のご禁制は解かれ
領内の女性も参拝することができるようになったのでした。
愛宕山にある愛宕神社・奥宮・御手洗水神社
愛宕山の名前の由来となった愛宕神社、極天様と崇められていた愛宕神社奥宮、そして極天様をお参りする際の清めの神社として存在した御手洗水神社。
愛宕山にあるこれらの神社をご紹介します。
愛宕山麓にある愛宕神社
愛宕神社は城山から移設されますが、一時期恒富神社(現在の春日神社)に合祀されました。しかし、崇敬者の願いから合祀をとりやめ、現在地に復社しました。
京都の愛宕神社同様に火伏の神様としての信仰が篤い神社です。
社殿の鈴を下から覗き見ることはあまりないかもしれませんが、愛宕神社の鈴は天狗の鼻についています。ぜひ参拝時には見て下さい。
山頂付近の愛宕神社奥宮・御手洗水神社
笠沙山は霊山として崇められており、山頂は極天様と呼ばれ聖地とされていました。
この奥宮には、国姫が奉納した鳥居が残されていましたが
平成11年に笠木以外の部分は新しく作られ、笠木だけは
国姫の奉納した鳥居から移設して残されています。
奥宮の少し手前にある御手洗水神社は
元来は奥宮に参拝するための清め処となった神社でした。
現在は水神様をお祀りしており、参道にはたくさんの木製の鳥居が立ち並びます。
最後に
宮崎県内にはほかにも愛宕神社があり
古くからの歴史を持つ愛宕神社としては、佐土原城址の東側にある愛宕神社も有名です。
こちらは明治から続く夏祭りでの喧嘩だんじりなども楽しめます。
愛宕神社巡りに、延岡の愛宕神社と合わせて
佐土原の愛宕神社参拝もいいのではないでしょうか。
アクセス
宮崎県延岡市愛宕山
参拝方法
愛宕神社は愛宕山にありますので
駐車場は愛宕山山頂付近の無料駐車場を利用しましょう。
とはいえ、駐車場からだと結構距離があります。
地元の方などは、登り口から最初の折り返しカーブの手前にある10台程度
停められるスペースに駐車しているようです。
また、奥宮は山頂駐車場から愛宕神社奥宮までだと徒歩20分程度で行けます。