なお丸🤗です。今回の記事は、宮崎県東諸県郡綾町にある綾城です。
この綾城、なお丸🤗が小学生時代に行って以来
このブログ始めるまで全く意識してませんでした。
今回、綾城の由来など調べてみた所
個人的には興味深い内容だったのでまとめてみました。
綾城の歴史
綾城のはじまりは、今からおよそ660年前の元弘年間(1331年~1334年)
足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命ぜられ
その子義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構えて綾氏と称したころと考えられています。
そして、室町時代八代将軍義政のころ、
都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりました。
したがって、綾城も伊東氏48城の一つとなり島津氏と戦う伊東方の重要な役割を果たしました。
伊藤48城とは・・・伊東四十八城(いとうしじゅうはちじょう)は、宮崎県にあたる日向国の戦国大名・伊藤義祐およびその後継である伊藤義益の、最盛期における支配域内に存在した48の外城及び砦の。伊東氏48塁とも呼称される。
宮崎県内至るところに砦があり、宮崎城と呼ばれるのもあったらしい(宮崎市池内町)
その後江戸時代の一国一城制度により廃止。
現在の綾城は昭和60年春日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、
数次の調査に基づいた考察により想定され、戦国初期城楼建造物として構築されました。
宮崎県にも戦国武将がいた
個人的な感想になります。
我が宮崎県のも、全国的にはメジャーじゃないけど戦国武将がいた。
ブログを通して、地元の歴史を調べていくと
学校の教科書には無いけど、数々の武将と言われる人物がいる事を知りました。
鹿児島の島津と戦う為に48もの砦を作ったりと興味深い内容でした。
他の伊藤48城も、今後調べていこうと思います。
※宮崎県宮崎市にある天ケ城は、後に出来たので伊藤48城には含まれない
綾城の写真
綾城の内部は歴史資料館になっている
3階建になっる綾城。1階は、甲冑や刀剣などの展示。
綾の歴史を映像で紹介。綾式土器、尾立遺跡などの資料展示されてます。
今にも動き出しそうな、ろう人形です。
2階は、日本一の刀鍛治といわれた田中国廣の刀が展示されています。
3階の天守閣では、綾町の城下を展望でき。山城と言われる町並みを見る事が出来ます。
綾城周辺のスポット
綾町は自然を楽しむ事が出来る町で、
宮崎市から車で約40分程度で行く事の出来る街です。
「すきっちゃみやざき」でもご紹介してます。
「照葉樹林や照葉大橋」も、
この綾城から車で10分程度で行けます。
綾城のアクセス
所在地 | 〒880-1302 宮崎県東諸県郡綾町大字北俣1012 0985771223 |
入場料 | 入場350円、高校生300円、小・中学生250円(国際クラフトの城と共通) |
営業時間 | 9時~17時30分(10~3月は~17時) |